かつて2万人以上いた町
夕張市の東部に大夕張という
かつて2万5000人が生活していた炭鉱街がありました
幼稚園から高校まであり
商店、映画館、銀行、旅館など一通りの都市機能があるところでした
建物は全て撤去
大夕張の鹿島地区は2017年にダム湖へ沈むことになり無人地帯になりました
夕張市の住所で鹿島○○町といったところが多数残っています
そんな鹿島地区がシューパロダムが渇水状態となる夏に湖面から出てきます
これまで特にイベントは行っていなかったのですが
2020年9月6日にダムに沈んだ街を散策できるイベントを初開催しました
イベントではかつての様子の展示も
鹿島地区の建物はダム建設の際に全て取り壊されてしまい
その以降は基礎が少し残っている程度です
今回のイベントではかつてこの位置に何があったかを
写真付きの看板で案内をしていました
今は更地ですが建物がかなり密集していたようです
流木の配布も
イベントなのでシューパロ湖に漂着した流木の配布を行っていました
木がかなりデカいのでこれを加工できる人でないと嬉しくないですね
飲食ブースも出店
カレーそば、ダムカレー、たんどらなど
ちょっとした飲食ブースも開いていました
この辺りには飲食店が皆無なのでありがたいです
駐車場完備
今回の散策は大夕張駅、千年町駅、明石町駅周辺ができました
歩いても行けますがそれぞれの駅周辺に駐車場が用意されていました
千年町にはかつての大夕張のシンボルだったキリ助が残っています
キリ助という看板の下の部分にはようこそ大夕張へと書いてあったようで
周りは花々で覆われていたようです
大夕張地区は三菱との取り決めで
全ての建造物を取り壊して変換するのが条件だったようなので
大夕張には建物は何も残っていません
数少ない遺構はキリ助とこのスローガンのみ
満水時にはこれも水没してしまうようです
明石町駅はかつて夕張東高校の生徒たちが利用して賑わっていた所です
平成になっても駅舎やホームが残っていたようですが
ダム水没直前には駅舎もなくなり地下通路だけが残っていましたが
ここも水没してしまい階段も壊れてしまいました
清水沢から大夕張までを結んでいた三菱石炭鉱業大夕張鉄道がありました
南大夕張(南部)までは炭鉱が閉山となる1987年まで運行をしていましたが
南大夕張から先の区間は1973年に廃止となっています
廃止後もサイクリングロードとして使われていたようですが
全て水没してしまいました
明石町から夕張岳方面に向かう白銀橋も大夕張のシンボルでした
これも水没してしまうので夕張岳方面には新しい橋が完成しました
橋を渡った先も鹿島白金町といった感じで地名が付いていますが
民家があった形跡はなく無人地帯です
ほぼ夕張岳へ行くためだけの道なんですが立派な橋が完成しています
旧国道から新しい橋を見られるのは渇水期ならでは
それにしても旧国道も水没の影響なのか
ガードレールがボロボロで大災害が起きた後のような惨状になっています
uhb今日ドキや北海道新聞などで案内していた今回の沈んだ街歩き
開催は11時からでしたが10時前から渋滞が始まってました
13時前に帰るころには国道452号線は大渋滞
夕張市もここまで人が来るとは思っていなかったのでは?
恐らく今年注目が集まったので来年以降も開催されるのではないでしょうか
新白銀橋から渇水した大夕張が眺められます
全てが出ているわけでないですがかなり路面が出ています
この辺りかつてはびっしりと家があったとは信じられないですね
旧白銀橋です
上の方だけがちょこんと出ています
少し前の方が水が少なく半分くらい見えていたようです
夕張で沈んだ橋というと三弦橋も有名です
新しく完成したシューパロダムから見えるところですが
今回の渇水ではまだ水が多いため見られませんでした
三弦橋が姿を現すのは数年に一度だそうなので幻の橋ですね
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大夕張のシンボル”キリ助”
千年町にはかつての大夕張のシンボルだったキリ助が残っています
キリ助という看板の下の部分にはようこそ大夕張へと書いてあったようで
周りは花々で覆われていたようです
看板は少し残っている
大夕張地区は三菱との取り決めで
全ての建造物を取り壊して変換するのが条件だったようなので
大夕張には建物は何も残っていません
数少ない遺構はキリ助とこのスローガンのみ
満水時にはこれも水没してしまうようです
明石町駅の地下通路
明石町駅はかつて夕張東高校の生徒たちが利用して賑わっていた所です
平成になっても駅舎やホームが残っていたようですが
ダム水没直前には駅舎もなくなり地下通路だけが残っていましたが
ここも水没してしまい階段も壊れてしまいました
大夕張鉄道の鉄橋
清水沢から大夕張までを結んでいた三菱石炭鉱業大夕張鉄道がありました
南大夕張(南部)までは炭鉱が閉山となる1987年まで運行をしていましたが
南大夕張から先の区間は1973年に廃止となっています
廃止後もサイクリングロードとして使われていたようですが
全て水没してしまいました
白銀橋も姿を
明石町から夕張岳方面に向かう白銀橋も大夕張のシンボルでした
これも水没してしまうので夕張岳方面には新しい橋が完成しました
橋を渡った先も鹿島白金町といった感じで地名が付いていますが
民家があった形跡はなく無人地帯です
旧国道を歩ける
ほぼ夕張岳へ行くためだけの道なんですが立派な橋が完成しています
旧国道から新しい橋を見られるのは渇水期ならでは
それにしても旧国道も水没の影響なのか
ガードレールがボロボロで大災害が起きた後のような惨状になっています
沢山の人が訪れました
uhb今日ドキや北海道新聞などで案内していた今回の沈んだ街歩き
開催は11時からでしたが10時前から渋滞が始まってました
13時前に帰るころには国道452号線は大渋滞
夕張市もここまで人が来るとは思っていなかったのでは?
恐らく今年注目が集まったので来年以降も開催されるのではないでしょうか
メモリアル広場があります
新白銀橋から渇水した大夕張が眺められます
全てが出ているわけでないですがかなり路面が出ています
この辺りかつてはびっしりと家があったとは信じられないですね
旧白銀橋です
上の方だけがちょこんと出ています
少し前の方が水が少なく半分くらい見えていたようです
三弦橋が見えるのは数年に一度
夕張で沈んだ橋というと三弦橋も有名です
新しく完成したシューパロダムから見えるところですが
今回の渇水ではまだ水が多いため見られませんでした
三弦橋が姿を現すのは数年に一度だそうなので幻の橋ですね
アクセス |
[沈んだ街歩き(大夕張)] 【住所】北海道夕張市鹿島千年町 【アクセス】公共交通機関はありません 【渇水時期】8月下旬から9月上旬 |
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コメント
コメント一覧 (4)
コメントありがとうございます。
沈んでしまった街が再び見られるイベントを開催してくれた夕張市に感謝です。
スローガンの字ですが錆がひどいのですべては読み取れませんが
「モテル○皆なの力で非行追放」
「○場家庭悪より防波○」
○の部分がなんて書いてあるかわかりませんがこんな内容です。
ここにアップしていない角度には
「人の子も我が子もみんな社会の子」
こんなスローガンが書いてありました。
炭鉱街に住んでいたわけではないので
詳しい名称は不明ですが
ああいう柱は各地にあったようですよ